小岩井農産株式会社 代表取締役 鈴木武義

メッセージ
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大正時代からの建物に囲まれた敷地内。こじんまりした事務所で鈴木社長が笑顔で私たちを迎えてくれた。
「ようこそ小岩井へ」。


120余年の歴史を誇る小岩井農場の関連会社、小岩井農産株式会社。
代表取締役をされている 鈴木社長にインタビューを依頼した。


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01

生き物好きが原点!

「社宅は、人が住むところとしては、昔はほんとにひどかったんで。」
建物の話になると正直に答えてくれる鈴木社長。
「昔、長屋っていうか社宅に住んでいました 、 廊下があるんだけど廊下に板が張ってますよね、張っている隙間から雪が舞いこんで、白く筋になる。そういうところで過ごしてきました。」「部屋の中で、酒が凍る。ビールが凍って、瓶が割れる」
鈴木社長が入社した当時、冬の生活は大変厳しいものだったようだ。

「東京の育ちです。」
えっ、冬の寒さを知っている北国の人かと察していると、鈴木社長が唐突に言う。
「東京の育ち。中心部というか、浅草ですね。」

鈴木社長は東京の浅草生まれ。
今も東京を代表する観光地でありながら、昔からの庶民の面影を残す町。
「浅草で生まれて育ったんですが、外遊びや山歩きが好きでね。」
「浅草って上野動物園に近いんですよね(笑)」
「あの頃はですね、子供の入園料金が10円かなんかで、当時住んでたところから、歩いて1時間ぐらいかな。地下鉄で行けばそのころは、小学生だと10円だったかな。だから、50円もあれば足代と入園料、そして中で軽く食べられるという遊びが出来た。上野動物園にはよく行ってましたね。だから、まぁ、動物が好きだったっていうのがあるんですよね。学生時代から動物関係の勉強をして、そして小岩井に入ったということになりますかね。」

「縁は特になかったです(笑)。学生時代に動物に関係する仕事をしようと考えていて、東京にいたのが幸いして、北の方しか見てなかったんですけど。例えば那須のあたりとか、北海道とか。その途中に小岩井農場があったんです。」

「小岩井農場は規模が民間の会社の中でも結構大きなところで。当時なかなかそういうところがありませんでした。入社試験受けたら受かったという事になります。特にご縁は無かったと思います(笑)。」

「最初は畜産関係の餌を作る農産部っていう所で働きました。主な仕事は牧草地の管理ですね。牧草を育てて刈って、それを牛の餌にするっていう。餌を作っている部門でした。だからもう、植物の世界(笑)。」

「普通のいわゆる牧草ですよね、ずうっとそれを作るっていう仕事をしていました。で、それを10数年経ったときに、造園の仕事に移りました。今度は草から木の方に。そして今に至っているようなものだよね。」

もともと動物が好きで入った畜産の職場でしたけど、その辺は、不満というか、違和感はありませんでしたか?

「いや、無いですよ。実は小学生ぐらいから、植物を見る為に山歩きをしていました。中学生時代は植物採集して標本作ったり。高校の時は動物の標本もつくってましたね。

あ、でも、動物は簡単には標本作れませんですけどね。動物の標本作るとなったら、骨格標本だとか、後、足跡の標本だとか。プラナリアもやりましたよ、これ原虫なんですけど。そういうものを実験動物に使ったりとか、交通事故にあったネコの解剖とか。

それはこっちに来てから?

「高校時代にやりましたね。その、東京にいたんで、交通事故にやられる動物って結構いたんですよ。で、それで解剖して、どうして死んだのかとか。」

それ、普通科の高校ですか?

「普通科の高校(笑)。クラブが生物部っていうところで。今朝死んでたよね、んじゃ、拾ってくるかって。理科系というか生き物系は、中学の時からずーっとやってました。だから植物だろうが、動物だろうが。私は長野県で学生時代を過ごしました。山も結構登ったので、環境を考えるとか、いわゆる野生動物の生態とか、結構かじらせて頂きました。」


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02

一所懸命

なんかすごいですね。動物の解剖まで話がいきましたね(笑)
話を仕事にもどしましょう。

「そうだね。最初の仕事は、しばらくの間は牧草を育てていて? 12年ぐらいかな。ええとね、今は機械でやるんだけど。ロールっていうか、丸めるのがあるんですけど、昔は全部、力仕事で(笑)。だから、今の時期になると、台車の上に牧草を拾い上げてくんですけど、それを積んでって、高さ5メーターくらい、もっとあるかな、それを二人で台車に積んでくんですよ。そういう仕事を10年ぐらいやってました。当然牧草を作るってことは、牛を育てるためにどうすることかっていうんで、その辺はね、学生時代に勉強したことが活きました。


そして牧草の後は造園。植木屋さんの仕事をしたと鈴木社長は言う。

具体的にはどんなお仕事をしたのですか?

「私のやってきた仕事に、陸前高田の現場があります。あそこに今復興応援施設っていうのができてますよね、あそこ、野外活動センターっていう県の施設があったんですけど、そこに木を植えてやったのが私なんです。芝生と木を植えて、結構な規模のものでした。全部津波で流されましたけどね。」

県外のお仕事もあったのですが?
「ええ、福島県の会津若松のインターチェンジの植栽だとか、秋田県は、インターチェンジいわゆる、高速道路にある木、ああいうのを植える仕事をしました。」

ちょっと意外な感じがします。小岩井のお仕事が主な印象ですが、結構遠くまで行って仕事をされているのですね。
「うちの会社、東北はほとんど歩いてますよね(笑)。一番私が関わったのは福島ですよね、あとはグループの関係でキリンの工場だとか。横浜の工場だとか金沢の工場だとか、やってますね。」

その後、小岩井農牧を定年退職されグループ会社である小岩井農産㈱へ社長として迎えられたそうです。

小岩井農産さんに来られて何年ぐらいですか?
「ええと、9年かな。」

退職されてから9年ってことですか?

「60で退職して。関東・東日本大震災の年の前か。あれから9年ですよね。震災から。今年で10年になるね。」

長いですね。例えば、ここまでやってこられて、特に思い出に残ってるっていうか、やりがいを感じたっていうような話があったらお聞きしたいです。

「すごい思い入れっていうか、小岩井農場の牧草地って600、700丁歩ちょっとあるんですけれども、わかりますかね、一丁歩とか。1ヘクタールですよね。管理している面積が600とか700丁歩あるんですけれども、私が管理しているときは、720丁歩くらいあったんですけれども、その畑を管理している自分が一番頭に残ってるんですよね。」
「学校卒業して、会社に入って一番、力というか、元になってるというか。牧草を育てること、刈り取って製品にするまで全部やらなきゃならないですよね、だからあの、ええと、乾草っていうか干し草を作るのと、サイレージ、牧草の漬物を作るような技術、あれって今、日進月歩なので、そういうことをちゃんと勉強して、ここには、こういう草が合う、だから、こういう肥料をやって、このぐらい採りましょうっていう、そういう設計をしたっていう自負はあります。それが一番ですよね。今でも誰にも負けないような、ところかなって思います。」

そのノウハウとか。

「ええ、まぁ。」

そのプロセスなど、経験から蓄積されてきたものから誇りを感じるような。そんな感じが伝わってきます。

「後は、その後に移った造園の仕事に関しては、まぁ、官庁関係の仕事をメインでやってましたんで、一年二年続くような仕事が多かったです」

「ある意味大きな仕事はそれが終わっちゃうと、もう行けないんで、遠方なんで。良くなってるのか悪くなってるのか、結構、気になるところがあるんですけど、いわゆる、建築物とは違って植物っていうのは、必ず育って大きくなるんで、後の管理が悪いと、枯れちゃうみたいなところがあると悲しくなってしまいますね。良く育っていると、おぉ、大きくなってきたなと。」

なるほど。植物は育つ。大きな規模の仕事ほどその後が気になるし、仕事中も大変なご苦労があったと思います。こういった苦労などについてはどう思われますか?

「何でしょうね、それは、人によって感じ方が違うところがあると思うんですけど、苦労っていうのがその時一過性のものなのか、ずっと続くのかによって、感じ方が違いますよね。我々は、そういう意味では、楽観主義者というか、その時は大変だったといっても、それは次のあの、夢に向かってプラスになるんだと思う。特に苦労してどうこうというような、人に言うようなことはないですね。」

「大変だったらこうすればいいんじゃないって考えるじゃないですか。それは精神的なものなのか物理的なものなのか、ハード面なのかソフト面なのか考えますもんね。それは当然解消しなきゃならないんで常に考えてますけどね。」

凄い。規模が大きい程責任感やストレスなど精神的な負荷があるものだ。それをいとも簡単に楽観的にまとめてしまった。必ずやり方がある。対処できる。それを当然のように信じている。

「まあだから逆にみんなから嫌われるんでしょうけど。いや、嫌われてないとは思いますけど。(笑)」

今現在中心になっている仕事は?

「まぁ、一応農産社のまとめ役をしてますので、それがメインですけど、色々多岐にわたって仕事してるんで、あの、専門っていうか、やってること以外はよくわからないです。例えば、販売業の飼料肥料っていうのも、ある意味私が昔からかかわっていた部門なんで、わかることはわかるんですけどね、その中身は、私が昔やってたころの餌の配合とか栄養分とかと違ってすごい進んでるんですよね、だから今、わかりません。(笑)」

なるほどなるほど、そこは任せちゃうのですね。

「はい。そうですね。後は、今その、建設請負業ってのは、造園の工事、後は、土木工事も少しやるんですけど、土木工事に関しては、技術者とか機材がないとなかなか利益につながらないんで、その辺のまとめは私がある程度やってます。」

土木ってどういうことをされたのですか?

土工工事ですけど、「網張のスキー場。これから雪降ってスキーが始まるんですけど、草刈らないとスキーができません。実は網張のスキー場の全面を人が入って草を刈ってるんです。」

へぇ知らなかった。

「ほかのスキー場だと、ほとんど機械が入ってやってると思うんですけど、ここは、昔の、古いスキー場なものですから、整地がほとんどできていないんです。そういう所で、人しか入れないっていうんで、人でやってるような仕事ですよね。」

スゴイ面積ですよね。

「そうですよね、あらかた一か月ぐらいかけてやりますよね。」

日本庭園。舗装外構工事。堤防の芝刈り。まあ幅広い。さらに保険の代理店ていうのも。

結構ほんとに多岐に渡ってます。

ここから先描いている未来を語ってください。

「あのう、はっきり言って、今の政府っていうか、派遣業っていうのが先行き暗いですよね、これから、安部さんも交代するんで変わるかもしれないんですけど、今までですとすごく、締め付けが厳しくなってきて、派遣業としては、なかなかこれから難しいのかなっていうところはあります。」

「造園関係の仕事も震災の復興需要で、賑わってるってところもあったんですけど、なかなかそれも続かない。まぁ、あの環境関係の仕事っていうのはお金には繋がってこないっていうのもありますよね、ある意味ね。うちの親会社の小岩井農牧は人の食べるものを作っているので安定的なのかなって思います。そういう所の協力体制ってところになっていくんでしょうね、これから。その環境を維持するって意味で造園とか山を作るって、いわゆる、人の手が入りこんでいないところを入りやすくする、そういう仕事がこれから増えると思います。後は町の中の団地。住民が離れていっちゃって、庭も誰も手を付けられないよっていう所が結構あって、そういうのを整理してくれっていうのが、結構依頼来るんですよ。小さい仕事ですけれども、これをやっていくのも一つ、これからの仕事かなって思います。」


働いてる方について。準社員っていう方がいるんですね。

「いわゆる、作業員ですよね。ええと、例えば、ここにある桜公園とか、乗り物広場にある従業員だとか、そういう人たちが準社員なんです。で、御所湖広域公園では、4月から11月までなんで、1年で切れるんですよね、みんな。そういう人たちは社員とはならないんで、そういう所は多い、夏場しか仕事しない、草刈りなんかは冬場仕事ないんですよね、そういう人たちは、常に集めてこなきゃならないんで、そういう仕事をする若い人はいなくて歳のいった人たちが多い。平均年齢65歳ぐらいじゃないですかね。

私達、移住支援で仕事の情報提供をしてるんですけど、小岩井農産さんで働けるチャンスはありますか?

「う~ん、あの草取りだとか草刈りだとか、そういう仕事を厭わないんであれば、ですけど、1年中仕事があるわけではないんで、結構不定期になります。うん、簡単にはいかないかな。大体、体力勝負なんで。まぁ、炎天下で仕事しなきゃならないとかあって、都会から来ている人は、とても辛いと思います。

この準社員の方で、都会から移住して来たという人はいますか?

いないいない(笑)、ほとんどこの近辺の農家の方です。中には、東京で働いたことありますよ、みたいな人もいますけど。

鈴木社長もともと東京出身じゃないですか?どうですかね、こっちに来て。

「体力的には自信がありました。(笑)だから、まあ、昔いたうちの先輩からよくお前続くなって言われます。まぁちょっと仕事だけじゃなくて自然体っていう意味でね。」

これから、移住する方たちにメッセージを。

「うん、こちらに来る人っていう人は、そのつもりでこちらに来ると思うんですけど、その時の環境で、認識が違う場合がありますよね、その時にどうやって乗り越えていくかっていうのが、やっぱり皆さんのサポートの力が必要になると思うんですよね。私はほんとに自然が好きで、ほんと山奥に入っちゃいますもんね。農業は自然で半分人工的な所だけど、そんな所にいることが好きな人は、正直中途半端なところがあるかもしれないですよね。農業っていうのは、全然やってない方がこっちにきてこんなにしんどかったっていうことがあるかと思うんですけど。その辺を、ある程度辛抱してやるしかないんじゃないかなって思います。私も、東京や横浜から来た人で農業学校にいって勉強して来た人がいるって知ってますけど、そういう風なことをしないとなかなか農業ってうまくいかない。例えば、農家の方に行って、一緒に農業やって研修みたいな形にしても、まずは体力ですよね、その次が、何を作るか、作物の知識、これ絶対必要なんで、そういう所もちゃんと、ある程度カバーしないと難しいんじゃないですかね。だから本気で移住するってことは、本気で来てるんでしょうけどその後の対応ってのが大変だと思うんで、ほんとに覚悟してきて欲しいと思います。」

辛抱が大事だと?

「都会で週末農業。それは良いと思うんですよ、趣味でやる分にはね。移住してきて若い人たちが、ちっちゃい子供もいれば、当然、食うもの、お金にするもの、必要になってくると思うんで、そういうものをある程度考えてこないと、大変でしょうね。だから小岩井で仕事しながらできればいいんでしょうけど、今言ったように、小岩井でも農業ってしんどい所があるんで。」

「小岩井農産さんの方で、社員になりたいんだって言った方がいるとしても、今のところはね、社員を募集する予定がないんですよ、給料も高くない。そういう中でも出来るよっていう人であれば考えなくはないですけども。なかなか難しいですね、現状では。」

朗らかな表情で淡々とインタビューを受けてくださった鈴木社長、原点である動物好きだという子供時代から生き物を学び続け、小岩井農場という広大な自然を相手に働き続けてこられた半生、植物も含めて生き物への愛情と牧草作りをはじめ様々な業務で試行錯誤を繰り返しよりよいものを探求されてこられた生き方を感じました。

企業情報
会社名:小岩井農産株式会社
所在地:岩手県岩手郡雫石丸谷地 36 1
連絡先:019 692 4235
事業内容:・一般労働者派遣業
     ・造園工事・土木工事業
     ・飼料・肥料販売業務
     ・生保・損保代理店業務

ホームページ:https://www.koiwai.co.jp/corporate/affiliate/nosan.html